むかし大阪湾一帯には淀川の土砂が堆積してできた難波八十島があり、福島もそのひとつと考えられています。鎌倉時代には荘園がひらかれ、江戸時代に入ると安治川の開削や堂島川の浚渫(しゅんせつ)がすすめられ、新地が造成されました。
「福島」の地名の由来は、菅原道真公が大宰府に流されるおり、この地に立ち寄ったときに名づけたと伝えられています。また、平家物語には元暦2年(1185年)2月16日、源義経が平家追討ちに向かった時にこの地をおとずれており、「渡辺・福島をいでて‥‥」と書かれています。このあたり一帯は湿地帯で細い川が縦横無尽に流れ、川沿いにはフジ(のちに野田藤と命名される)の花が咲き乱れるフジの名所として有名であり、足利義詮将軍、豊臣秀吉らがフジ見物におとずれたことが記録されています。
現在の福島区域は、明治22年(1889年)大阪市制の施行時と明治30年・大正14年の市域拡張により、大阪市域に編入されました。明治後期にできた新淀川は、当時の西淀川区の区域を南北に分けてしまいました。昭和18年4月1日、旧西淀川区の海老江・鷺洲と旧此花区の福島・野田地区に北区の一部が加わり福島区が誕生しました。
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